シーサーについて
沖縄の至るところでみかけるシーサー。守り神や魔除けとしては有名なお話ですが、シーサーについての由縁は諸説あり、実際のところは明らかにはなっていません。ですが、沖縄でなぜシーサーが広まり、どんな意味をもっている生き物なのかの定説ご紹介します。
シーサーの歴史
もともとシーサーの由縁を辿ると、紀元前6000年ほどのエジプトのスフィンクス(ライオン)がシーサーになったと言われています。エジプトでライオンは強さの象徴として存在しており、それが13世紀ごろに中国に伝わりました。しかし、その頃はまだ、アジア圏にライオンはおらず、人々は話で聞く色々な想像が加わって、様々な獅子が生まれました。
沖縄最初のシーサー
中国でさまざまな獅子が生まれ、沖縄に伝わったのが1400年ごろ。作者は不明ですが、石で作られたシーサーが首里城に設置されたと記されています。当時は魔除けというわけではなく、権威の象徴として設置されました。琉球王朝が始まったのも1400年代。そう考えると、沖縄は、シーサーと共に時代を歩んできたともいえるでしょう。残念ながら、現在そのシーサーは、すでに首里城にはなく、確認する事はできません。現在、確認できる最古のシーサーは、沖縄本島南部、八重瀬町の「富盛の石彫大獅子」で300年以上も前に製作された、八重瀬町の村落シーサー。当時、八重瀬町では、不審火が多く村人が困っていたところ、風水師により指定された場所に設置する事で、災いが治ったとされています。
シーサーの種類
ひとくちにシーサーと言ってもいろいろな種類のシーサーがいます。首里城にあったような権威を象徴する「宮獅子」、八重瀬町のように村への災いから守る「村落獅子」、そして個人の家に訪れる災いを守る「家獅子」があります。当時は階級の高い貴族などにのみ設置が許されていた「家獅子」ですが、次第に一般家庭にも設置が許され、赤瓦で作られた家屋の上に設置した事から、現在の「シーサー」が普及したと言われています。
二体ある意味
現在、おみやげ屋や、焼き物工房でみかけるシーサーには口を開いたシーサーと、閉じているシーサーの2種類をみかけるかと思います。これには意味があり、口が開いているシーサーは雄で、災難を防ぎ、口を閉じているが雌で、福を招き入れ守るという意味があります。金剛力士像のように阿吽の一対となり、二体が一緒になってその力を発揮すると言われています。
シーサーの由縁は諸説あります。
本サイトで紹介した以外にもたくさんのエピソードがございます。
シーサーの選び方
少しシーサーの事を知った上で、「じゃぁどのシーサーを選べばいいの?」とお思いになるかと思います。実はどのシーサーでも正解です。シーサーは獅子がモデルとなっていますが、当時は、想像を掻き立てて作られた空想上の生き物。凛としたシーサー、ニコニコ笑ったシーサー、どれも同じ守り神です。お気に入りのシーサーをぜひ見つけてください。